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自治会長 半田雄二さん
上田市中央東7-3
上田市千曲川右岸の旧市街地北東部の玄関口であり、東に蛇沢、北に山口・新田、西に下川原柳町・愛宕町、南に材木町、東南に染屋等の七つの自治会に隣接囲まれた所に位置している。
大正3年(1914年)に川原柳町から分離し上川原柳町となりました。
町名の歴史については、川原柳はその昔、房山村字瓦焼と呼ばれ、仙石忠政が小諸より入城するにあたり上田城の修築する際、大瓦奉行を作り、お城の瓦を焼く瓦職人が住んでいた所より呼ばれたと事です。その後漢字の瓦が川原に焼が柳に変わってしまい、更に読みがなまって「かわらやぎ」となったそうです。又、昭和2年に上田丸子電鉄北東線が開業され、昭和47年廃止までの45年間、この電車の「川原柳駅」(カワラヤギ駅と読むが、通称「カワライキ」)と共に発展してきました。(上田市街地入り口の駅として一番にぎわった駅であったとの事です。)
天正11年 1583 上田城築城(真田昌幸)
寛永 3年 1626 上田城改修(仙石氏) この頃瓦焼の地名
元禄16年 1703 お地蔵様建立 念仏講
享保 4年 1719 お地蔵様二体建立
寛保 2年 1742 江戸もこの地方も大洪水 上田秋和正副寺門前流死者千人塚
天明 3年 1783 浅間山大爆発 大水 冷害 干ばつ 飢饉 など多かった
享和 3年 1803 上田町房山瓦焼の大火事 消失家屋90戸
明治 7年 1874 上田町川原柳町上組下組となる
川原柳―矢出沢川の治水のために植樹した数百本の土手の柳から
大正 3年 1914 上川原柳町、下川原柳町に分町
大正 8年 1919 上田市制施行
昭和 9年 1934 地蔵尊破損 傷みがひどいため再建(1703年建立のもの)
昭和48年 1972 公会堂庭の祠が傷んだため現在地に新築移転
昭和58年 1983 上田城築城400年祭
平成13年 2001 現公会堂新築
おすすめ歴史ポイント
愛宕神社
上川原柳町の南側、国道144号線東北部の染屋台に位置する愛宕神社。その由来については、京都市嵯峨の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社より祭神を天正年間(1573~1591)に真田幸隆により勧請されたと伝えられています。上田地方には、愛宕社と名の付く社が10社程あるが、大半は石の祠で社殿を構え神社と呼ばれるのは、ここだけである。
現在の社殿は、柳町の岡崎末二氏(現岡崎酒造)よりご寄付頂いた700坪を含めた800坪の敷地内に昭和9年10月に完成した物である。
本殿には、火乃化可句突智命(ひのかくつちのみこと)、埴生姫命(はにやまひめのみこと)、水波女命(みずはめのみこと)の3神が祀られ、火伏せ(防火)の信仰の神社とされています。祭日は、春の4月24日・夏の7月24日に執り行われ、特に4月23日の宵祭りには、「愛宕山を愛する会」が主催し、境内に屋台も出て老若男女を問わず大勢の参拝者で盛り上がっています。現在の愛宕神社の維持管理や運営方法は、上川原柳町・下川原柳町・愛宕町・染屋の4自治会で分担割に基づき、総代・役員の役割分担順番制にて実施しています。
延命地蔵尊
寛永年代から享保年代(1623年から1730年頃)の約100年余の間、新田開発もあり、矢出沢川の洪水被害が毎年のようにありました。
瓦焼村の有志により洪水被害者の供養に念仏講をつくり、お地蔵さんを建立したのは元禄16年(1703年)10月です。享保3年(1718年)7月17日の大水被害では、水死者数10名、流出家屋数10軒、流出した橋12と大災害に遭い、翌享保4年(1719年)瓦焼村念仏講にて二体の地蔵尊を建立し、毎年、春・秋の二回祭りをして供養してきました。後に延命地蔵尊として村の有志により引き継がれてきました。お地蔵尊の裏には、「享保4年瓦焼村」と刻まれています。
現在は、自治会として春の3月23日と決めて、延命地蔵尊の掛軸(竹内とみ様寄贈)を公会堂に飾り、延命地蔵尊とお稲荷さんの祭りをしています。そして直会の場は、自治会員相互の親睦を深め、地域の絆作りのための場として、手作りの稲荷寿司、団子、お酒を用意しています。
稲荷神社
お稲荷さんは、古くは朝廷が、雨乞いや止雨と共に五穀豊穣を願ったり、国の安穏を願うなど公の願い事が多く記録されています。
公会堂の庭にある伏見稲荷さんは、昔から当町の守り神として地蔵尊と共に崇敬の的でもありましたが、このお稲荷さんの鳥居がシロアリの為腐り、立て直しを考えていた矢先に室橋建設様のご厚意により立派な鳥居が昭和52年に寄付建立されました。お稲荷さんは、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神として信仰を集め、今日になお信仰は続いていますが、自治会で行う祭りには、信仰的な内容より町民の親睦とふれあいの場として行っています。
矢出沢川は、旧上田市と旧真田町の市町境の東太郎山(標高1,301m)に源を発し、上田市街地をほぼ東西に貫流し、途中黄金沢川・蛭川・虚空蔵川等の支川を合わせ、千曲川に合流する河川面積25.3k㎡、幹川流路延長6.6㎞の一級河川であり、その内350m程が上川原柳町を流れています。川には、小魚(ジンケン)や沢ガニ等が生息しており最近では、ホタルの舞う姿も見られています。又、矢出沢川は、人口が密集している市街地地区を流下していて中下流域部において、流下能力が不十分なヶ所があり、これまでも度々溢水等による浸水被害が発生してきました。特に平成22年8月の集中豪雨で中流域から下流域にかけて広範な地域で浸水被害が発生しました。この浸水被害を受け、応急対策工事が長野県上田建設事務所にて平成24年の3月まで行われ、更に大規模な河川改修計画がその後20年間で整備される計画がされています。