開善寺宛武田信玄定書
2024.2.14 | 新田
種別 | 市指定 古文書 |
指定 | 昭和五四.四.九 |
所在地 | 上田市立博物館 |
所有者 | 海禅寺 |
開善寺宛武田信玄定書 たて31.3㎝、よこ43.7㎝
この文書は現在上田市新田にある海禅寺が、戦国時代に小県郡旧東部町海善寺地区にあったころ、武田信玄が永禄五年(一五六二)十一月七日、この寺にお祈りを頼み、願がかなったときには開善寺(海善寺・海禅寺)に、以前の通り土地を寄付することを約束した定書きです。
何をお祈りするように頼んだのでしょうか。実は、前年の永禄四年には世に名高い川中島大合戦が行われましたが、勝敗がつきませんでした。
そこで次の年にこの定書を、に勝つことができるよう、開善寺の(寺を管理する僧の頭のすまい)にお祈りを頼んだものと思われます。このころ信玄は各地の社寺にやを出して、戦勝を祈っていることから、この定書もその一つでしょう。信玄の健診に対する決意のほどを、うかがい知ることのできる貴重な文書です。
開善寺は古くは名族海野氏のでしたが、海野氏がびたあと、天正十一年(一五八三)真田が上田城を築いたとき、海野郷から今の場所に移りました。
この定書に信玄の氏名がありませんが、写真で見るように、年月日の下の(書き)が、信玄のものですので、信玄の定書であることがわかります。
旧東部町の開善寺跡には今も、大坊という地名が残っています。
※『上田市誌 上田市の文化財』(執筆担当 小池雅夫)から転載