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未指定の文化財

2024.2.14 | その他

羽ま石

山口の氏神様白山比咩神社の奥社と拝殿の囲いの中に一抱えほどの石があります。雨乞いのときは蝦蟇のような声を出すといわれていました。三〇年くらい前に一時だれかに持ち去られましたが、だれも知らぬ間に、また戻ったといいます。

出典:『上田市誌民俗編 昔語りや伝説と方言』

花古屋城跡

比高153m 標高703m

立地 太郎山南東に派生した尾根の突端にある。表参道登山路に接しており、鉄塔の下方に見事な堀切と土塁が確認できる

歴史 「長野県町村誌」には村上氏による築城とされているが、詳細は不明。

遺構 尾根を数百mにわたり加工する大規模な城である。見どころは主郭からの三の曲輪で、表参道から見える堀切と土塁が城内で最大規模である。そこから東側については堀切竪堀状の遺構が複数見られるが、城郭に伴うものの判別がつきにくい。主郭内には井戸跡状遺構や虎口状の遺構もある。三の曲輪までのいたるところに石積が残っている。

【鳥観図】

【主郭部要図】

※『山城ガイドブック 村上氏連珠砦』(編集:太郎山山系を楽しくつくる会、発行:全国山城サミット 上田・坂城実行委員会)から転載

鳥観図、主郭部要図、南北断面図は宮坂武男作画・長野県立歴史館蔵

豊城跡

比高 100m     標高620m

立地 東太郎山から南に派生する尾根上にあり、山口地区と大久保地区の間に位置する。

歴史 詳細不明。小字に「豊城」の名が残る。

遺構 切岸と削平により二つの曲輪が起こるのみの簡易な構造である。周囲が畑地化しているため、遺構が破壊されている可能性もあるが、山自体も要害とはいえず、狼煙台程度のものと考えられる。

【鳥観図】

【主郭部要図】

※『山城ガイドブック 村上氏連珠砦』(編集:太郎山山系を楽しくつくる会、発行:全国山城サミット 上田・坂城実行委員会)から転載
鳥観図、主郭部要図、南北断面図は宮坂武男作画・長野県立歴史館蔵

刺繍阿弥陀三尊

阿弥陀三尊をあらわす種子(梵字)と蓮華座、天蓋、周囲の蓮の模様などの部分が、刺繍されている。寒松院手製のものを同寺に寄進、と伝える。あるいは刺繍の部分を寒松院が手づから指したものであろうか。

出典:上田市立博物館『真田氏史料集』

開善寺宛真田信之安堵状

信之は小県郡相続後、家臣の本領を安堵すると同時に。領内の主な寺社にそれぞれ寺・社領を寄進・安堵した。下之郷社(生島足島神社)、信綱寺、開善寺に宛てたものが残されている。

出典:上田市立博物館『真田氏史料集』

花岡商事

現在の事務所・倉庫は昭和4年(1929)焼失後に再建した建物で、事務所棟は間口7間半、5間半、木骨コンクリート造、二階建、スレート葺である。隣接する倉庫は間口4間、4間半、木骨コンクリート造、二階建、鉄板葺である。さらに土蔵造りの倉庫が隣接している。

事務所棟は、1階の柱にスクラッチタイルを張り、 2階は人造石洗出しに黄土色のタイルあるいは色モルタルなどを用いて飾っている。また、2階の中央にペジメント(三角破風)をつけて飾っている。

 倉庫の方は、やや地味に仕上げているが、人造石洗出しに黄土色のモルタルのストラップをつけている。

 花岡家の大正・昭和期の倉庫群はいずれも棟梁が藤岡新吉なので、事務所の建物も棟梁は藤岡新吉とみられる。

資料提供:上田市教育委員会

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キーワード
史跡町並み