二子塚古墳
2024.2.14 | 新田
種別 | 市指定 史跡 |
指定 | 昭和四三.四.二五 |
所在地 | 新田 |
所有者 | 二子神社他 |
二子塚古墳全景(南西より)
二子塚古墳出土の円筒埴輪片
上田市街地の北方、太郎山の扇状地面に築かれた二子塚古墳は、とのふたつの古墳が合体した形をとる「」と呼ばれるものです。このようにして前方後円墳として、はっきり形がわかる古墳は、上田小県地方では、この古墳が唯一で大変貴重なものです。
現状の規模は、全長四八m、前方部幅十八m、同高さ四・〇m、後円部計二二m、同高さ四・〇mあり、前方部を北西に向け、主軸方向を北西から東南に向けています。
この古墳は、本格的な発掘調査を行っていないため、石室内部の造り方や埋葬する時に、一緒に納めたなどについては不明です。現在、後円部の南側に石室の天井石ではないかとみられる大石が二個露出していますが、この大きさから推定すれば、横穴式石室をもつ古墳の可能性が高いと思われます。なお、昔は墳丘の周囲からと呼ばれる埴輪の破片がいくつか採集できましたが、今ではほとんど発見できなくしまいました。
(大きい古墳のまわりにある小さい古墳)とみられる小古墳が、この二子塚古墳の周りにあります。このうち北西約二六mの所にあるものは墳周三五・五m、高さ四・四mを計る一番大きい、陪塚です。また、東北約二四mに位置するものはかつて墳周三〇・五m、高さ二・二mあったと記録されていますが、現状はかなり小規模な古墳となっています。このほか東西と西南方向にもそれぞれ陪塚があったといわれていますが、今ではそのが残るだけとなってしまいました。墳丘の周りに(まわりの堀)がめぐっていたとみられる窪みも一部に確認されていますが、その規模などについても不明です。
なお、この古墳は後円部の直径に比べて、前方部の幅が大きく広がっていることや、出土した円筒埴輪の特徴などから、古墳のつくられた時期を、およそ六世紀前半ごろと推定しています。
このように、二子塚古墳は内部の状況他埋葬された副葬品等が不明で、墳丘も当初の形状がかなり損なわれていますが、上田小県地方では、墳丘の明確な前方後円墳として知られており、当地方の古代史解明に欠くことのできない古墳の一つです。
※『上田市誌 上田市の文化財』(執筆担当 川上元)から転載