menu

公式インスタグラム

小泉家住宅

2024.2.14 | 上紺屋町

種別登録有形文化財
指定令和三年二月四日
所在地上紺屋町
所有者個人
構造・建築年木造二階建、瓦葺・江戸末期から明治前期

小泉家住宅は、江戸末期、藩士の裃用などの型付け藍染め工房を営んだ泉屋小泉弥重の代、文政9年の大火後に海野宿から移設されたものと言われています。

明治期には、米穀・塩・の販売が主となり、蚕種の製造も始めました。そのため、煙出しである越屋根の設置など建物の一部が改造されました。その後蚕種製造、販売及び各地の販売支店から養蚕指導員派遣を行う「益蚕社」本店として第二次世界大戦中まで使用されました。

建物東側の玄関は土間となっており、そのまま裏の作業場まで繋がっていて、そこには染物に使っていた大きな壺が埋め込まれています。また、建物西側には屋内に裏庭に通じる通路(小泉小路)があり、その先では矢出沢川から引き込んだ染物の洗い場の遺構まで下りることができます。海野宿から移設した際にできた余地を巧みに使用したとも考えられます。また、二階部分は開口が大きくとられています。江戸期にこの北国街道を参勤交代の行列が通る際、主人は裃をつけて店先に土下座し、家人はこの二階部分の戸の隙間からこっそり行列を見下ろしていたと伝えられています。

染物業を営む「紺屋」が多く並び、北国街道にも面していたこの地域の特徴を今に残す貴重な建物です。

※資料・写真提供 上田市教育委員会

自治会名
上紺屋町
キーワード
史跡